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日本の人魚について

日本でも人魚の存在が早くから知られている。最古の記録は619年とされており、摂津国(現・大阪府)で漁師の網に人魚が捕えられたという記述が『日本書紀』にある。

また聖徳太子が近江国(現・滋賀県)で人魚に会い、生前の悪行で人魚に姿を変えられたと聞いて手厚く供養したという話もある(観音正寺)。

鎌倉時代の『古今著聞集』などでは、日本の人魚はヒト状の顔を持つ魚とされていたが、江戸時代後期にはヨーロッパ同様、ヒトの上半身と魚の下半身を持つ姿と伝えられるようになる。

日本各地に伝わる人魚伝説は恐ろしいものとされることが多い。江戸時代の越中国(現・富山県)では、角を持った全長11メートルの人魚を人々が450丁もの銃で撃退としたといわれる。若狭国(現・福井県南部)でも漁師が岩の上に寝ていた人魚を殺した後、その村では海鳴りや大地震が頻発し、人魚の祟りと恐れられたという。このように人魚が恐れられたのは、中国の『山海経』に登場する、赤子のような声と脚を持つ人魚の影響を受けたためといわれる。

一方では吉兆との説もあり、寿命長久や火難避けとしても崇められたこともある。高野山の麓の西光寺(和歌山県橋本市)には全長約50センチメートルの人魚のミイラがあり、不老長寿や無病息災を願う人々の信仰の対象となっていたといわれ、現在でも橋本市の有形民俗文化財に指定されている[8]。博多津に人魚が出現した際に国家長久の瑞兆と占われ、人魚を龍宮寺(福岡県福岡市博多区)に埋葬された。

  • 最終更新:2015-10-30 11:07:40

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